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【アラスカ】アッツ戦75周年記念イベント

1940年代の対米戦争では、開戦の舞台となったハワイの真珠湾や、戦局の転換点となったミッドウェイ、消耗戦を演じたガダルカナル、多くの犠牲を出したサイパンやフィリピンなど、中部太平洋での戦闘に目が向けられることが多いように思いますが、北太平洋、それもどちらかといえば極北に近い領域であるベーリング海でも、日米の交戦がありました。

東のアラスカ半島と、西のカムチャツカ半島を、艫綱のように結んでいるアリューシャン列島の中央部にある二つの島を舞台に、日本軍と米軍との間で繰り広げられた戦闘から、今年は75年にあたるということで、アラスカのアンカレッジで記念のイベントが催されたようで、アラスカの新聞に紹介記事がありました。

内容としては講演会、パネルディスカッション、展示会などのほか、日本人監督によるドキュメンタリ映画の上映が企画されています。全体的に戦闘そのものよりも周辺のエピソード、この地域の先住民に及ぼした影響に焦点が当てられているように思いました。

二つの島というのは、アッツ島:面積893平方キロ(佐渡島(同855平方キロ)よりやや大きい)とキスカ島:面積278平方キロ(西表島(同289平方キロ)より少し小さい)です。太平洋戦争におけるアリューシャンの戦いというと、日本側ではアッツ島での玉砕、キスカ島からの奇跡の撤退といった、どちらかといえば結末部分の軍事行動について語られることが多いと思います。それも確かに歴史の一面だとは思いますが、二つの島の占領時のいきさつや、最終的な戦闘に至るまでの状況については知られていない、あるいは伝えられていないように感じます。

本サイトとしては、周囲から隔絶された北の海に浮かぶ火山島で、どのような暮らしが営まれているか、といった事柄に興味があるのですが、現在この二つの島は立ち入りが制限され、住人はいないらしい。ですが記事を読んで、1942年の占領時、アッツ島には住民がいて日本に連行された、占領に際して死者も出ていた、ということをはじめて知りました。

戦後、アッツ島の住民は本国に帰ることができましたが、島にあった村は破壊され、帰島は許されずに今日に至っているそうです。何がなし、小笠原の硫黄島と似たような状況ですが、平穏な暮らしを送っていた市井の人々から静かな日常を奪い、戻すことをしない(できない)現実の非情さが、紹介記事の隅々から伝わってきます。

上述のドキュメンタリ映画は、夏に日本でも公開が計画されているようです(参考サイトはこちら)。

Photo via Good Free Photos

 

【アラスカ】アメリカに売却された日

帝政ロシアがアメリカ合衆国にアラスカを売却した1867年から、今年は150年めにあたります。地元の新聞が、アラスカの購入に関する条約の調印が行われた3月30日に、そのいきさつや今日的意義を書いています(記事はこちら)。

ロシアが支配地を放棄するにいたった背景とアメリカが購入した理由、当時の両国内での評判などが書かれていますが、気候変動による温暖化が北極に及ぼしつある影響、およびその状況を反映しているかのような、ロシア・アルハンゲリスクでの国際フォーラムでの人々の発言を取り上げているあたりに、今日的課題を感じます。

ロシア、アメリカの双方が、こうした極地帯の領有と開発の歴史を通じて、先住民の存在を軽視してきたと反省している、というのが、タイトルにある second thoughts なのかな、とも思うのですが、こうした視点に、ローカル紙らしさが見えるような気もします。